ライフスタイルコラム
「D&Iを考える」第3話 障がい者だからではない、戦力だから採用する

近年、よく耳にするようになったダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)とは、多様なバックグラウンドや価値観を持った人材を受け入れ、それぞれの能力が発揮できる環境をつくること。企業力の向上に欠かせない経営戦略の指針としてD&Iを掲げる企業も増えています。とはいえ、実際には何から着手すればいいのかわからない。効果が測定しにくい。ゴールがイメージできないなど、D&Iに対する戸惑いも聞こえてきます。今回は、1975年に全国で初めての「心身障害者多数雇用モデル工場第1号」を開設し、現在は従業員の7割が知的障害者である日本理化学工業株式会社を取材。代表取締役社長の大山隆久さんにお話を伺いました。

大山 隆久
1968年東京生まれ。広告制作会社勤務、米国留学を経て、1993年に日本理化学工業株式会社に入社。2008年に4代目代表取締役社長に就任。
創業88年目、国内トップシェアを誇るチョークメーカー
日本理化学工業は、学校などで使用されるチョークを製造・販売する国内トップシェアのメーカー。チョークのほかにも、運動場用ラインパウダーや黒板消しなどを手掛けています。
「1937年に創業し、現在88期を迎えていますが、子どもや学校の減少、ホワイトボードやプロジェクター、タブレットデバイスの普及により、マーケットは縮小傾向にあります。そのような状況の中で注力しているのが、ガラスやプラスチックに絵が描けて、水拭きで消せる画材『キットパス』。キットパスブランドは高い評価を受けており、2009年に『第18回 日本文具大賞グランプリ』、2024年に『第33回 日本文具大賞』グランプリを受賞するなど、新しい事業の柱となっています」

kitpasには、「きっとパスする」「きっとうまくいく」という意味が込められている
「1937年に創業し、現在88期を迎えていますが、子どもや学校の減少、ホワイトボードやプロジェクター、タブレットデバイスの普及により、マーケットは縮小傾向にあります。そのような状況の中で注力しているのが、ガラスやプラスチックに絵が描けて、水拭きで消せる画材『キットパス』。キットパスブランドは高い評価を受けており、2009年に『第18回 日本文具大賞グランプリ』、2024年に『第33回 日本文具大賞』グランプリを受賞するなど、新しい事業の柱となっています」

kitpasには、「きっとパスする」「きっとうまくいく」という意味が込められている
日本初、炭酸カルシウム製の「ダストレスチョーク」を開発
事業の始まりは、大山社長のお祖父様である大山要蔵さんが、大田区蒲田で日用品や文具品を扱う問屋を営んでいたこと。ある日、近くの大学病院の医師から「体に害のないチョークがほしい」と相談を受けたことがきっかけでした。
「当時の石膏チョークは粉が飛散しやすく、肺への影響を指摘する声がありました。安全なチョークが求められる中、その要望に応えるかたちで、日本で初めての飛散の少ない炭酸カルシウム製の『ダストレスチョーク』が開発されたのが1937年です。その後、1951年と1953年に、当時の文部省の斡旋品として国のお墨付きをいただいたことから、全国の学校に広く普及していきました」

どんどんラインを流れてくるチョークを、素早く真っ直ぐに整える職人の技
「当時の石膏チョークは粉が飛散しやすく、肺への影響を指摘する声がありました。安全なチョークが求められる中、その要望に応えるかたちで、日本で初めての飛散の少ない炭酸カルシウム製の『ダストレスチョーク』が開発されたのが1937年です。その後、1951年と1953年に、当時の文部省の斡旋品として国のお墨付きをいただいたことから、全国の学校に広く普及していきました」

どんどんラインを流れてくるチョークを、素早く真っ直ぐに整える職人の技
会社の運命を変えた、障がい者雇用第一期生
日本理化学工業といえば、渋沢栄一賞をはじめとする数多くの賞を受賞しており、大山社長のお父様である大山泰弘さんは、障がい者雇用に取り組む中小企業の経営者にとってカリスマ的存在。その歴史は、1959年、世田谷区の青鳥(せいちょう)養護学校の先生が、女子学生2名の就職を依頼しに来られたことから幕を開けます。

一貫して障がい者雇用を押し進めてきた大山泰弘さん
「知的障がいのある方について、差別用語が普通に使われていた時代。父自身にも何も知識はなく、定年までの長い期間、彼女たちの人生に責任を持てる自信もなかったため、雇用は即座にお断りしました」
しかし、先生は2度、3度と足を運ばれます。当時、社員は20名ほど。知的障がいのある方を2名採用することは会社にとっても大きな決断だったので安易に引き受けるわけにはいかず、断り続けたと言います。
最終的に先生から出てきたのは「就職は諦めるので、働く体験をさせてほしい」というお言葉。就職が叶わなければ、彼女たちは生涯働くことなく、地方の施設で暮らすことになる。その前に、一度でいいから仕事を経験させてあげたい——その言葉に心を動かされ、2週間限定で受け入れることを決めました。
彼女たちに任されたのはチョークの蓋にシールを貼る単純作業。それに対して休憩時間になっても気づかないほどの集中力で作業に取り組んだそうです。そして2週間後。彼女たちの働く姿を見ていた社員たちから「ぜひこの子たちを採用してほしい」という声が上がりました。障がい者雇用の第一期生の誕生です。

「ひとりは65歳、ひとりは68歳まで勤められたんですよ。世話好きで、朗らかで太陽みたいな人たちで、みんなを助けてくれる大切な存在でした。彼女たちが道をつくってくれたのでいまがあるんです」と大山社長は語ります。

一貫して障がい者雇用を押し進めてきた大山泰弘さん
「知的障がいのある方について、差別用語が普通に使われていた時代。父自身にも何も知識はなく、定年までの長い期間、彼女たちの人生に責任を持てる自信もなかったため、雇用は即座にお断りしました」
しかし、先生は2度、3度と足を運ばれます。当時、社員は20名ほど。知的障がいのある方を2名採用することは会社にとっても大きな決断だったので安易に引き受けるわけにはいかず、断り続けたと言います。
最終的に先生から出てきたのは「就職は諦めるので、働く体験をさせてほしい」というお言葉。就職が叶わなければ、彼女たちは生涯働くことなく、地方の施設で暮らすことになる。その前に、一度でいいから仕事を経験させてあげたい——その言葉に心を動かされ、2週間限定で受け入れることを決めました。
彼女たちに任されたのはチョークの蓋にシールを貼る単純作業。それに対して休憩時間になっても気づかないほどの集中力で作業に取り組んだそうです。そして2週間後。彼女たちの働く姿を見ていた社員たちから「ぜひこの子たちを採用してほしい」という声が上がりました。障がい者雇用の第一期生の誕生です。

「ひとりは65歳、ひとりは68歳まで勤められたんですよ。世話好きで、朗らかで太陽みたいな人たちで、みんなを助けてくれる大切な存在でした。彼女たちが道をつくってくれたのでいまがあるんです」と大山社長は語ります。
慈善活動ではない、戦力としての障がい者雇用
ふたりが成果を上げていったことから、徐々に障がい者の雇用を増やしていった日本理化学工業。基本的に毎年1人は採用し、3~4人を採用した年もありました。就職前には3回の職場実習を受けてもらい、お互いにミスマッチがないかを確認しています。
「知的障がい者を多く雇用しているのは、慈善活動ではありません。仕事への向き合い方も、職人としてのスキルも、彼らはプロフェッショナル。純粋に彼らの力が必要だから採用しているんです。一方で、知的障がい者の方は就職が不利な状況にあり、転職の機会も極めて少ないのが現実。だからこそ、ご縁があった方々は定年まで勤務してくれるケースが多いんですね。人の入れ替わりが少ないことで、ものづくりの現場が安定するのも助かっています」
現在は、川崎工場と美唄工場を合わせて、全社員94人のうち67人が知的障がい者、そのうち23人が重度の障がいがあります(2025年1月現在)。
「知的障がい者を多く雇用しているのは、慈善活動ではありません。仕事への向き合い方も、職人としてのスキルも、彼らはプロフェッショナル。純粋に彼らの力が必要だから採用しているんです。一方で、知的障がい者の方は就職が不利な状況にあり、転職の機会も極めて少ないのが現実。だからこそ、ご縁があった方々は定年まで勤務してくれるケースが多いんですね。人の入れ替わりが少ないことで、ものづくりの現場が安定するのも助かっています」
現在は、川崎工場と美唄工場を合わせて、全社員94人のうち67人が知的障がい者、そのうち23人が重度の障がいがあります(2025年1月現在)。
やり方にとらわれず、自分たちらしいラインを構築

全員が100%戦力になるためには、どんな工夫があるのでしょうか。文字が読めない人には別の方法で。目盛りが読めない人にも、また別の方法で。その人に伝わるやり方を見つけることが大切になります。通常であればマニュアルがあって、そこに人が合わせていくのが一般的かもしれませんが、日本理化学工業では逆。まず人がいて、その人に合った方法を模索する。色を使う、秤を使う、どんな方法でも構いません。試行錯誤を重ねることで、自分たちらしい製造ラインができあがっていきました。


「誰でも新しいことができたら嬉しいし、褒められた嬉しいですよね。自分なりのやり方で正確に測ることができるようになった社員から『もっと測っていいですか?』と言われたことがあります。各自の理解力に合わせて、その良さを引き出せばいい。最終的に帳尻が合えばいいわけで、プロセスは柔軟でいい。一つひとつ工夫を積み重ねた結果、製造ラインのほぼ100%を知的障がい者のみで稼働できるようになりました」
大切な、4つの約束
「返事をしっかりすること」「自分のことは自分でできること」「周りの人に迷惑をかけないこと」「一生懸命できること」。社内には4つの大切な約束があります。
「言葉で表現できない人も、何らかのやり方で意思表示できる必要があります。ダメなのはわかったふりをすることですね。『わかりました!』と言われても鵜呑みにせず、実際の行動で理解しているかを確認します。それをしないと不良品を生んだり、最悪、事故が起きる可能性もあるわけですから」
もちろん迷惑をかけないことも、とても大切。ものづくりはラインで行われるため、個人が好き勝手な行動をしたらすべてに影響が出てしまいます。

頻繁に見学者が訪れる川崎工場の作業現場
「迷惑をかけることがあれば、親御さんにも伝えて、一度帰ってもらいます。会社は働く場所であること、一丸となって利益を出さなければならないことは、ぜったいに理解してもらわないといけないことなので」
「言葉で表現できない人も、何らかのやり方で意思表示できる必要があります。ダメなのはわかったふりをすることですね。『わかりました!』と言われても鵜呑みにせず、実際の行動で理解しているかを確認します。それをしないと不良品を生んだり、最悪、事故が起きる可能性もあるわけですから」
もちろん迷惑をかけないことも、とても大切。ものづくりはラインで行われるため、個人が好き勝手な行動をしたらすべてに影響が出てしまいます。

頻繁に見学者が訪れる川崎工場の作業現場
「迷惑をかけることがあれば、親御さんにも伝えて、一度帰ってもらいます。会社は働く場所であること、一丸となって利益を出さなければならないことは、ぜったいに理解してもらわないといけないことなので」
安心できる職場だから、頑張ろうと思える
個性豊かな人たちに囲まれているので、毎日いろいろなことがあって楽しいし、飽きることがまったくないと笑う大山社長。居場所をつくることを何よりも心がけています。
「職場が安心できる場所でなければ、人は頑張ろうと思えない。と言っても、特別な戦略があるわけではないんですよ。ただ積極的に声をかけることです」
良い仕事をしていたら「助かった、本当にありがとう」と。うまくいかなかったときは、丁寧に伝えて一緒に改善していく。そんな声かけの積み重ねが、安心して働ける環境をつくっています。全社員の顔とフルネームはもちろん、仕事内容までも細かく把握されているという社長。その理由を尋ねると、シンプルな答えが返ってきました。
「大事な仲間ですから」
「職場が安心できる場所でなければ、人は頑張ろうと思えない。と言っても、特別な戦略があるわけではないんですよ。ただ積極的に声をかけることです」
良い仕事をしていたら「助かった、本当にありがとう」と。うまくいかなかったときは、丁寧に伝えて一緒に改善していく。そんな声かけの積み重ねが、安心して働ける環境をつくっています。全社員の顔とフルネームはもちろん、仕事内容までも細かく把握されているという社長。その理由を尋ねると、シンプルな答えが返ってきました。
「大事な仲間ですから」
素直なコミュニケーションを教えてもらう
取材に伺ったのは、ちょうどお昼休みの時間。晴れた空の下で、キャッチボールやサッカーをしている社員の姿が目に入りました。

昼食、運動、そして掃除と、健康的なルーティン。社長が入ることも
「知的障がいのある社員と接することで、わたし自身が鎧を脱げるようになってきたと感じます。彼らは言葉を選ばずに真っ直ぐに伝えてくれるので響いてきますし、変に照れたり、取り繕ったり、格好をつける必要はないということをいつも教えられます」
また取材日は、ちょうど長く勤めた方の最後の出社日にあたっていました。食堂の壁には「○○さん、長い間ほんとうにありがとうございました」と書かれたメッセージが掲示されており、大山社長が何度も「寂しい、寂しい」と言われていたことが印象的でした。

昼食、運動、そして掃除と、健康的なルーティン。社長が入ることも
「知的障がいのある社員と接することで、わたし自身が鎧を脱げるようになってきたと感じます。彼らは言葉を選ばずに真っ直ぐに伝えてくれるので響いてきますし、変に照れたり、取り繕ったり、格好をつける必要はないということをいつも教えられます」
また取材日は、ちょうど長く勤めた方の最後の出社日にあたっていました。食堂の壁には「○○さん、長い間ほんとうにありがとうございました」と書かれたメッセージが掲示されており、大山社長が何度も「寂しい、寂しい」と言われていたことが印象的でした。
障がい者雇用の会社として注目されている責任
障がい者雇用の観点から多くのメディアに取り上げられ、さまざまな賞を受賞。見学者が後を立たない中、足を運んでくださる方たちに感謝しつつも、大きな責任を感じているという大山社長。
「もしわたしたちの経営が立ち行かなくなったら?前に進めなくなってしまったら?そうなれば『日本理化学工業ができないのなら、やはり障がい者雇用は難しいのではないか』と考えてしまう方が少なからず出てくると思うのです。そのためには真摯に作った質の高い製品で選ばれ続け、利益を生み出し続けて、何としてでも未来を築いていかなければなりません」
「もしわたしたちの経営が立ち行かなくなったら?前に進めなくなってしまったら?そうなれば『日本理化学工業ができないのなら、やはり障がい者雇用は難しいのではないか』と考えてしまう方が少なからず出てくると思うのです。そのためには真摯に作った質の高い製品で選ばれ続け、利益を生み出し続けて、何としてでも未来を築いていかなければなりません」

多彩な視点を持つのは、企業活動に有効
改めてD&Iの効果をお聞きすると、言葉の意味も正確に解釈はできていないかもしれないという率直なお答えが。ただ、性別や年齢、国籍、健常者や障がい者などのあらゆる垣根を越えて、本質を見抜く目を磨くことで新たなニーズを見出す力が鍛えられ、結果利益が出るのではと述べられました。
「弊社からすると当たり前のことなので、D&Iという意識はありません。ひとつここまでの経験から、障がいのある方を職場に迎えることで、職場の雰囲気が良くなるということは感じています。彼らがいてくれることで手助けや思いやりが自然に生まれる、素に戻って優しさを発揮しあえるというか」
「わたしたちの会社は特別ではないんですよ。理解さえ進めば、職場での受け入れはスムーズになるはず。仕事ぶりも、人間ぶりも素晴らしいから一緒にいるんです。教えることもあるけど、教えてもらうこともたくさんある。そのことを知ってもらえたら、個人も企業も世の中も変わると思います」

ありがとうの数はリボンで見える化。チームのモチベーションに
人間として、社員として「どうあるべきか」というところでは、誰もが平等。
一人ひとりが持っている力を出し切り、自分の役割を果たせば、それで十分。
職場において「健常者」「障がい者」という言葉すら不要ではないか
という大山社長の指摘に、D&Iの真髄が見えるように思いました。
「弊社からすると当たり前のことなので、D&Iという意識はありません。ひとつここまでの経験から、障がいのある方を職場に迎えることで、職場の雰囲気が良くなるということは感じています。彼らがいてくれることで手助けや思いやりが自然に生まれる、素に戻って優しさを発揮しあえるというか」
「わたしたちの会社は特別ではないんですよ。理解さえ進めば、職場での受け入れはスムーズになるはず。仕事ぶりも、人間ぶりも素晴らしいから一緒にいるんです。教えることもあるけど、教えてもらうこともたくさんある。そのことを知ってもらえたら、個人も企業も世の中も変わると思います」

ありがとうの数はリボンで見える化。チームのモチベーションに
人間として、社員として「どうあるべきか」というところでは、誰もが平等。
一人ひとりが持っている力を出し切り、自分の役割を果たせば、それで十分。
職場において「健常者」「障がい者」という言葉すら不要ではないか
という大山社長の指摘に、D&Iの真髄が見えるように思いました。