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KURASUMA

ライフスタイルコラム

「D&Iを考える」第2話 自分たちの困りごとを語り合い、みんなで研究していく場をつくる

#働き方 #Well-being
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多様性を大切にすることで成長している企業や学校、団体などを紹介する連載企画「D&Iを考える」。第2回は、東京大学先端科学技術研究センターの教授を務める熊谷晋一郎さんにお話を伺いました。生まれつき脳性まひの障害を持つ熊谷さんは、ご自身の経験をもとに「当事者研究」をテーマとする研究活動を実践されており、2024年4月に東京大学内に設立された「多様性包摂共創センター」では、副センター長としてインクルーシブなキャンパスづくりの推進を担当されています。

熊谷さんが取り組む当事者研究では、身体や精神に障害のある方々が抱える日々の困難を、専門家による解説ではない、当事者自身の言葉で語るための活動を実践しています。障害をひとつのカテゴリーにあてはめるのではなく、一人ひとりの個人が抱える困りごととして捉え直す当事者研究は、D&Iの実現を目指す企業だけではなく、多様化する社会のなかで暮らすわたしたちにとっても大きなヒントを与えてくれるはずです。インクルーシブな職場のあり方や、障害を持つ方と向き合う際の視点、D&Iが目指すものについて、熊谷さんにお話しいただきました。
熊谷 晋一郎

熊谷 晋一郎

東京大学先端科学技術研究センター教授

障害を持つ「新入社員」が失敗できる職場環境とは

当事者研究のはじまりは、精神障害を抱える人々が、自分自身の苦労の規則性や対処法について理解するための草の根の活動でした。精神障害などの当事者に住まいや働く場所を提供している北海道浦河町の拠点「べてるの家」で生まれたこの活動は、徐々に学術研究者からも注目されるようになり、現在では当事者と様々な専門家との共同研究が活発におこなわれています。

2001年にべてるの家ではじまった当事者研究の背景には、当事者の方々の切実な思いがあったといいます。当時は薬の処方や長期の入院といった隔離拘束的なもの以外の解決法が示されることはなく、当事者の方々は医師や専門家の言葉だけでは説明できない困難を抱えていました。

「病気や障害のある人に限らず、何らかの困りごとを抱えている人々は、困りごとのメカニズムの解明や解決を専門家に任せてしまいがちですが、かならずしも専門家が答えを教えてくれない場合が世の中にはたくさんあります。当事者研究とは、そういった困りごとについて自分自身が研究者となり、類似した困りごとを持っている人々と一緒に共同研究をしていく活動のことを意味しています。専門家の言葉だけでは説明がつかない経験を当事者自身が解釈し、意味づけることで、経験の共有や対処方法の発見にいたることがあるのです」





研究者としての活動に軸足を移す以前、小児科の臨床医として10年間働いていた熊谷さんは、自身の当事者研究としてインクルーシブな職場のあり方について考え続けてきました。なかでも研修医時代の経験は、障害を持つ人が働く職場のあり方を考える上での大きなヒントになっていると熊谷さんは語ります。

「研修医時代、私の上司は熱心にサポートしてくれたのですが、私が何か失敗するたびに大きな葛藤があったのではないかと思います。新人だから失敗したのか、それとも障害を理由に失敗したのか。それは上司だけではなく、私自身にもわからなかったんですね。

障害を持つ人にとって、実際に働いてみないと分からないことは山ほどありますし、なにか失敗するたびに『やっぱり障害者を雇用するのは難しい』と考えられてしまいがちです。ただ、そもそも新人なのだから失敗してしまうのは当然のはず。にもかかわらず、障害を持っていると新人時代のトライアンドエラーの機会を奪われてしまう状況があります。新人の善意の失敗が寛容に受け止められ、成長資源にできる期間と場のことを『実験的領域』と呼びますが、職場のDE&I*の実現には必要な考え方だと思います」

*DE&I…ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂性)を表すD&Iに、エクイティ(公平/公正性)を加えた概念

障害を持つ人との「地続き性」を感じる語りの場

DE&Iについてさまざまな場面で取り沙汰されるようになり、どこか「やらなくてはいけないもの」として考えてしまっている事業者は多いのではないでしょうか。たしかに、2024年4月からは障害を持つ方の活動を制限する社会的なバリアを取り除くために必要な対応をおこなう「合理的配慮の提供」が、事業者に義務付けられることになりました。当事者研究の知見は、そういった義務化を前に固くなるのではなく、障害について知ることの「おもしろさ」を教えてくれると熊谷さんは語ります。

「私たちが普段ビジネスマンを対象に実施している講座では、マイノリティの方の話を聞いていただいた上で、参加者のみなさんに自分自身のことを話していただく時間を設けています。自分について正直に語ることは、最初は誰もが難しいとは思うのですが、マイノリティの方々は自分の困りごとを他者に伝える表現を練り上げてきた語り部たちなので、当事者たちの言葉をシャワーのように浴びることで、徐々に参加者の方々もぽつぽつと自分のことを喋りはじめるんです。

そうやって自分自身を開示していく経験を通して、障害のあるマイノリティの方々と自分自身の感じていることが、地続きであることをはじめて感じることができます。障害のある人のことを知り、自分自身についても知ることが、こんなにおもしろい経験なのかと、多くの参加者の方々に感じていただいています」





自分自身の悩みについて語り合い、共有する場の実践は、「やらなくてはいけない」活動としてではない、DE&Iをはじめるため足がかりになりそうです。

「自助グループを実践されている方はよく、ご自身の活動を『語学スクール』のようなものだとおっしゃっていて、英語を学ぶように、『自分の気持ちを正直に伝える言葉』の使い方を学んでいくんですね。DE&Iに取り組む企業は、短時間でもいいのでそういった場をつくるといいのではないかと思います」
 

障害は身体にあるのではなく、社会のなかに存在する

「当事者研究では、障害のある人をカテゴリーで括ることはしないため、障害のある人を異質な存在として捉えるのではなく、自分と地続きの存在であることを感じるための補助線を与えてくれるはずです」。熊谷さんがそう語るように、障害のある人との地続き性への気づきは、DE&Iの第一歩だと言えるでしょう。

しかしながら、地続きである一方で、障害のある方々が歴史的にも社会のなかで格差に直面し続けてきたことは、向き合わなくてはならない事実としてあります。

「社会がマジョリティ向けにデザインされているため、マイノリティである障害のある人たちは、社会のなかで不利な状況に置かれてきた長い歴史があります。障害のある人のことを自分と地続きの存在だと思うこととともに、集団としての障害者と多数派との間にある格差の存在に気づき、それを是正するためになにができるのかを、一緒に考えていくことが大切です。それがDE&Iが目指す次のステップだと思います」





社会のなかの格差について再認識した上でDE&Iを推進していくために、障害の「医学モデル」から「社会モデル」への転換について知ることも重要です。社会モデルの考え方が提唱された当時のことを熊谷さんが述懐します。

「当時、先輩の障害者たちから言われた言葉がとても印象に残っています。『熊谷、お前の身体には障害なんてないんだ。エレベーターが設置されてない建物に障害があるんだよ。障害物競走の障害と一緒なんだ」と。直すべきなのは私の身体ではなく、社会の側かもしれない。この身体のまま、堂々と社会に出ていくことができると言われて、考え方がガラリと変わったんですね。

それが、60年代以降、障害のある人々によって進められた、医学モデルから社会モデルへのパラダイムシフトでした。この捉え方は今日まで少しずつ広がりを見せていて、国内外問わず、障害についての法律の文章の多くは社会モデルに基づいて書かれています」

DE&Iを推進する研究とイノベーションを生み出す「多様性包摂共創センター」

これまで東京大学では、2004年に設置された「バリアフリー支援室」が中心となり、障害のある人にとってインクルーシブなキャンパスづくりが推進されてきました。障害のある学生や教職員の困りごとの解決のために、必要に応じて面談を実施し、本人のニーズに基づきながら、バリアフリーのための工事の実施や設備の導入、制度の変革やカリキュラムの調整、人的サポートなど、地道な伴走型の支援を行ってきました。もちろん、自身の障害についてオープンにしたくない学生たちもいるため、入学時に全学生に対してオリエンテーションをした上で、支援室の門を叩くかどうかは学生たちに委ねられています。

たとえば取材場所となった教室では、コンクリートの天井と壁からの反響音に敏感なメンバーに配慮した天幕が付けられており、視覚過敏の方に合わせた調色・調音機能付きの照明、さらに車椅子ユーザーが使いやすい吊り下げ式のコンセント設置されていました。しかしながら、それでもまだ十分とは言えないと熊谷さんは言います。「大学という環境に、いまだに多くの構造的・文化的な面での不平等があります。やるべきことは枚挙に暇がない状況です」。



取材場所の教室に設置されていた調色・調音機能付きの照明


バリアフリーのほかにも、東京大学では2006年に「男女共同参画室」が設置されており、ジェンダーエクイティの推進に取り組んできました。2024年4月にはバリアフリー支援室の活動を含めた学内のDE&Iの活動を統合する「多様性包摂共創センター Center for Coproduction of Inclusion, Diversity and Equity(IncluDE、インクルード)」が設立され、さらなる発展的な支援と研究活動が予定されています。

熊谷さんはインクルードの副センター長と同時に、センター内に設置されている「DEI共創推進戦略室」の室長を務められています。戦略室では、ジェンダー・エクイティとバリアフリーのための具体的な支援をおこなう実践部門と、これまで各部局でDE&Iにまつわる研究を続けてきた方々の知見を統合する研究部門との橋渡しをしながら、具体的な支援と研究を循環させる役割を担うそうです。

「実践部門から戦略室に提示される、障害のある学生にとって切実な満たされないニーズは、入手可能なソリューションで一朝一夕に解決できるものではありません。今後インクルードの設立をきっかけに、こうした満たされないニーズを研究部門と共有し、学内だけでなく、広く社会全体のDE&Iを推進する研究とイノベーションの種が生み出されていくことを期待しています」

自分たちの困りごとをみんなで考えていくため当事者研究

熊谷先生は、日本発祥の当事者研究のユニークさを示す特徴のひとつとして、「当事者」という言葉が翻訳できないことをあげています。

「当事者という言葉は、日本語でしか表現できない非常に曖昧な概念です。これまで海外の英語ネイティブの方にさんざん相談してきたんですが、どの英語も『当事者』を表す言葉としてあてはまらないそうなんですね。

海外の類似した取り組みでは、マイノリティ性を自認する人々が主導する研究がありますが、当事者研究では、はっきりとしたマイノリティ性を自認していないけれど、名状しがたい苦労を抱える人々や、既存のマイノリティ性では説明できない苦労を抱えた人々も当事者として包摂されます。当事者という言葉の意味する範囲が曖昧であることが、現在ここまで研究が広がっていることの理由のひとつだと思います」





身体や精神に障害のある人に限らず、「当事者」とはわたしたちすべてのことを指す言葉でもあります。もしなにかに困っていたり、苦しんでいたりすることがあるのであれば、すべての人が今日からでも研究をはじめられることが、当事者研究の醍醐味だと言えるでしょう。

「困りごとの度合いが相対的に大きい、障害を抱えた人がDE&Iの焦点にはなりますが、誰もが程度の差こそあれ、異なる悩みや困りごと、疑問に感じていることをもっており、それについて、誰もが声を上げることができるカルチャーをいかに会社や組織のなかにつくっていくことができるのかが、DE&Iが目指す先にあるものです。改善のためのアクションをはじめるために、まずは堂々と困っていることをオープンにし、みんなで考えていく。専門家に委ねるのではなく、自分たちの困りごとを研究していくことが、DE&Iの推進の第一歩になるはずです」

自分たちの困りごとを語り合う場の実践は、インクルーシブな職場を実現するためのヒントをわたしたちに与えくれるかもしれません。

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