LIFESTYLE「お茶のまち」静岡を訪ねて知る、
「日常茶飯事」としてお茶を楽しむことの豊かさ
May 30, 2023

雄大な富士山を臨む自然に恵まれた静岡は、海の幸や山の幸といった食文化の豊かさはもちろん、全国の40%の生産量を誇る「お茶のまち」としても知られています。今回は、静岡で日本茶専門店「chagama」を営む森宣樹さんに、暮らしの中で日本茶を楽しむことの豊かさについてお聞きしました。

森宣樹Mori Nobuki
マルモ森商店6代目代表取締役社長。静岡市で唯一の「日本茶鑑定士」であり、茶審査技術九段(最高位十段)の取得者。

「高校生でも立ち寄れるお茶屋さん」を目指して。

静岡駅から15分ほど歩いた場所に位置する「chagama」は、明治10年創業の製茶問屋・マルモ森商店が、2014年にオープンした日本茶専門店です。創業146年の企業が手がける店舗というイメージとは異なる、現代的な雰囲気の店内のデザインについて尋ねると、「古くからあるような昔ながらのお茶屋さんに入るのって、勇気がいりませんか?」と森さん。ふと思い返せば、確かに足を踏み入れた記憶がないことに気がつきます。

「全国のお茶屋さんにお茶を卸す中で、若いお客さんが来ないことの悩みを、顧客のみなさんから聞いていたんです。問屋である僕らがどんな意見を伝えても説得力がないので、自分たちでアンテナショップをつくり、実践したことを顧客にフィードバックをしようと思ったのがchagamaのはじまりでした」

初の小売業への挑戦に踏み切る上で、森さんがコンセプトに掲げたのは「高校生が立ち寄るお茶屋さん」でした。高校生が通ってくれるようになれば、その親の世代にも日本茶の魅力を届けることができるはず。そんな思いから、chagamaの立地には市内の繁華街ではなく、半径500m以内に3つの学校がある住宅街を選択。現在は高校生だけではなく、放課後の子どもたちや大学生がお店に訪れるそうです。

立地に加え、若い世代に日本茶の魅力を伝えるためにも、本格的な日本茶を手軽に楽しめるドリンク開発に力を注いだという森さん。フランスのマシンメーカーと連携した独自のエスプレッソ技術の開発には、1年間の期間を要したと言います。

「目指したのは、手の届きやすい価格で、オーセンティックな日本茶が体験できるドリンクでした。いまではドリンクをきっかけに訪れた方が日本茶に興味を持ってくれて、ついでに茶葉を買って帰ってくれることにもつながっています。お小遣いでお茶を飲みにくる小学生や、バイト代で急須を買ってくれる高校生もいますね」

100種類を超える日本茶を選ぶ楽しみ

気軽に日本茶を楽しむことができるドリンクを提供する一方で、chagamaの奥には専門店としての風格を感じさせる木製のカウンターがあり、日本茶のコンシェルジュが、訪れた方に合わせた日本茶の銘柄を提案しています。さまざまな銘柄のブレンドや産地、品種、フレーバーが並び、常に100種類を超える茶葉が店内に揃うそうです。

「日本茶には、和食だけではなく洋食に合うものもありますし、コーヒーの代わりにケーキと楽しむお茶や、眠る前でも飲めるお茶など、さまざまな種類があります。ニッチで専門的なお話ももちろんできますが、まずはお客様がお気に入りの茶葉を見つけられるお手伝いができればと思い、日々ご案内しています」

試飲用のお茶を注ぐ店長の稲葉さん。コーヒーのバリスタとしての経験を積んだのちに、日本茶に転向したそうです。

chagamaでは静岡茶はもちろん、鹿児島や奈良、京都といった全国の茶葉を扱っており、そのすべてを試飲することができます。静岡茶に特化した店舗にすることもできたのでは?と思い尋ねてみると、「お茶のまち」静岡だからこそ実現できる豊富な品揃えの理由について森さんは語ります。

「静岡のお茶屋さんでは、他の県のお茶を売ることはまずないんですが、僕は静岡茶だけにこだわらなくてもいいと思っています。静岡はお茶の一大生産地であると同時にお茶の集積地でもあり、市内の茶市場には全国からお茶が集まってきます。より多くの方に日本茶を飲んでもらうためにも、chagamaではさまざまな農家や産地の茶葉を取り揃えることで、日本茶そのものの魅力や多様さを伝えるためのお店づくりを心がけています」

日本茶が「日常茶飯事」であるために

店内奥の木製カウンターでは、店名の由来にもなった大きな「茶釜」が置かれ、いつでも温かいお茶が淹れられるようにお湯が沸かされています。日本茶専門店ならではの特別な水を使っているに違いないと、その秘密について聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

「静岡のお水は美味しいので、chagamaで沸かすお湯は水道水で十分だと思いますし、お客さまにも、ご家庭の水道水で大丈夫ですとお伝えしています。茶葉の量や温度、時間に関しても、chagamaでは大体で決めているんです。理科の実験のように厳密に測っていたら、お茶を淹れることが『日常茶飯事』ではなくなってしまいますよね。家でも再現できそうだなと、お客様自身に感じていただくことがなにより大事だと思っています」

森さんが「日常茶飯事」という言葉を使う理由には、日本茶離れが進んでしまった日本の現状に向き合う姿勢が表れています。コーヒーや紅茶といったさまざまな嗜好品と日本茶を同列に並べるのではく、「日常茶飯事」の言葉の通り、日々の暮らしの中に当たり前に存在できることこそ、日本茶の魅力なのだと森さんは言います。

「日本がまだ貧しかった戦後は、日本茶は嗜好品であると同時に、準生活必需品でもありました。もしペットボトルが普及してなかったら、日本茶自体も廃れてしまっていたとは思いますが、現在はコーヒーやコーラといった選択肢もあるので、選ばれる頻度が減ってしまっているのが現実だと思います。日本茶を選んでもらえるきっかけを増やすためにも、僕らはもっと発信方法にも工夫をしていかないといけないと考えています」

静岡は、お茶の生産量と集積量はもちろん、消費量においても群を抜いて日本一であり、文字通り「日常茶飯事」が実現している都市でもあります。最後に、静岡で暮らしながら日本茶の魅力を発信することにかける思いを、森さんにお話いただきました。

「静岡は魚が美味しいですし、野菜も大体取れるので、地産地消が成立する街でもあります。そして静岡では、ご飯を食べながら当たり前のようにお茶を飲むんですよね。日本茶の魅力をより多くの方に伝えるためにも、このまちの暮らしの特徴である、『日常茶飯事』としてお茶を飲むことの豊かさを発信していきたいと思います」

知らず知らずのうちに遠のいてしまった日本茶の存在を、あらためて捉え直すきっかけをいただいたような本取材。時にはペットボトルの手軽さから距離を置き、急須で淹れる日本茶の豊かさを、茶葉の香りとともに感じる時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。